<ボクの思い出>
小学生の頃、犬を飼っていた時期がある。
名前は「ボク」。ヨークシャテリアの雄だった。
もとは知り合いの家で飼われていた犬で、ずっと外に繋がれていたため、
長い毛は汚れてドレッドヘアーのように絡まってしまっていたので、
その家では「雑巾」というあだ名がついていた。
ある日、見かねた母が引き取りたいと申し出て、うちに連れて帰ってきた。
絡まった毛をはさみで切ってショートカットになり、お風呂で洗った後、
ボクは見違えるようにきれいな犬になった。
3歳ということだったが、ヨークシャテリアを知らなかった私は
口元の長い毛のせいで、おじいさんだと思った。
お手もお代わりも伏せもすぐ覚えたし、
わがままも言わず無駄吠えもしない。
待てというと、ずっと待っているような犬だった。
毎日一緒に遊び、一緒に眠った。
膝の上に乗せてピアノを弾いていると、
ぴょんと鍵盤の上に飛び乗って端から端へと歩いて鍵盤を鳴らすので、
「ボクはピアノが弾ける!」と友達に自慢した。
うちは両親とも働いていたので、家に帰るのは私が一番早い。
門から玄関のドアまでの10メートルほどの間、いかに賢いボクに
気がつかれないように鍵を開けれるか試みるのが日課。
映画で観たスパイのように、あるいはマンガの忍者のように忍び足で歩いても、
門から2歩も行かないあたりで、ワンワンとはしゃぐ声が聞こえ、
ドアの磨りガラスに小さなシルエットが映っているのが見える。
いつか気付かれずに玄関のドアを開けて「ただいま!」と
びっくりさせてみたいなあ、と思ったが、何度やっても失敗したので、
ボクには特別な能力があるように思われた。
ある寒い冬の日、それは成功したかに見えた。
抜き足差し足でドアに近づいて、ボクのシルエットが見えないのを確認すると、
急いで鍵を開け、「ただいま!」と勢いよく声をかけた。
返事はなく、玄関のたたきに横たわっているボクは冷たくなっていて動かない。
ボクを抱き上げて急いで居間まで走り、こたつの中に入れた。
一緒にこたつに入って温まっていると、仕事から帰ってきた母が
「何してるとね、ボクは?」と聞くので、
「冷たくなっとるけん温めてると」と答えると
母はこたつから硬直したボクの体を取り出し、抱きしめながら号泣し始めた。
それを見て私も泣き出した。
母が泣き出したということは、ボクは生き返らないということだった。
原因不明の突然死。
翌日、父が庭の蘇鉄の木の側に穴を掘り、ボクを埋葬した。
その間、私はわんわん泣いて家族を困らせた。
学校に行っても、帰ってきてもずっと泣き続け、
スコップでボクを掘り返そうとしたので、ついに父に叱られた。
あの日の朝、牛乳配達が来た時は普段と変わらず元気だったボク。
でも出かける時、なんとなく行かないで欲しい素振りだった。
きっと一緒にいたかったんだ。
たった一日くらい、なんで学校を休まなかったんだろう?。
寒い日だったのに、なんで朝からこたつに入れてあげなかったんだろう。
死んでしまった原因が自分にあるような気がしてしまう。
大人になっても何度も思い出しては、その度に泣いた。
悲しみの感情は強力だ。
残しておきたかった大切な思い出も押し流そうとする。
後悔して「ごめんね」を言い過ぎたせいで
私はボクのことを悲しい思い出にしてしまった。
何よりも大切だったボク。
動物と暮らすことがどんなに楽しいことか教えてくれた犬。
動物に対する愛情を目覚めさせてくれた。
本当は「ありがとう」なのに。
近頃やっとボクとの楽しい日々を思い出せるようになった。
(ので長々書いてみました。リハビリ中)